2024年01月23日
「特筆すべき点がない」拳銃?:Wikipediaの誤った記述
はじめに
中学生あたりから拳銃に興味を持った記憶がある。気づけば頼りにしていたのがWikipediaだった。情報の授業で「ネット上の情報には誤りも多いので気を付けるように」と言われてはいたが、いかんせん何も予備知識がないし賢い調べ方もわからない。名前を検索すれば一番上に出てきて、それなりに情報が載っているWikipediaでとりあえず済ませてしまうのが習慣になっていた。十四年式が特筆すべき点のない拳銃?
今思えば無謀な試みではあるが、私は十四年式拳銃のページの記述を暗記できるくらいまで読もうとしていたものである。しかし今となってはそれほどの信用してはいない。なぜなら本格的に調べるようになってからは、実に適当なことを書いているような記述が目に付くようになったからだ。例えば次の文をご覧いただきたい。
「(機構・性能ともに当時の自動式拳銃としては一般的なもので、)南部麒次郎も回想録で「この拳銃には特に誇張すべきことはない」と述べている。」
南部が十四年式を「誇張すべきことはない」と述べたという内容だが、重大な誤りを含んでいるのだ。脚注に参考文献として南部の自伝の名前が挙がってはいるが、投稿者が実際に確認したのか疑わしい。本当に読んだことがあるのならばしない間違いだからだ。
まず、南部が十四年式に対して「誇張すべきことはない」と述べたというのは誤り。南部の自伝で十四年式について言及されたのは「南部式自動拳銃」の章の「大形(※原文ママ)を基礎に製造を簡単にする目的で多少修正し、大正十四年には十四年式として陸軍制式に採用された。」という一文のみ。
次に、「誇張すべき」云々が記された文章はあるにはあるが、これは南部式自動拳銃に向けられたものであるし、その上不正確に引用されているために意味が変わってしまっている。正しくは次のような文章である。
「構造はとりたてゝ誇張すべき点はないが、自動安全装置を付したこと、分解、結合の取扱を簡単にしたこと、特に小形の将校用は重量を軽減し、品位を有さしめた点が特徴であったらう。」
しばし脱線:南部式は妥協の産物?
南部式の特徴がいくつか挙げられているが、構造的には誇張するべき点がないと自己評価している点が気にかかる。パラベラムピストルとモーゼル拳銃の影響を強く受けた銃なので、たしかに構造的にみれば画期的な点はないと言うこともできなくはない。模倣は発明者にとっては禁物だと話す南部にとって、南部式は先行する銃の設計を堅実にまとめあげた、いわば妥協の産物でしかなく、今一つ納得のいくものではなかったということなのだろうか。
終わりに
最近YouTubeで拳銃の名前を入れると「解説動画」がよくヒットするようになった。そうした動画の中には、Wikipediaの文章を少し書き換えて写したものもある。しかし、Wikipediaの中には不正確な情報が含まれていることがある。こういったものを孫引きすると自分も誤情報を拡散させることになる。そういった投稿者の方がこのブログを見ているとは思わないが、僭越ながらくれぐれも注意した方がいいと忠告させていただきたい。その分野に詳しくないからこそ解説動画に頼るのだから。
参考文献
・南部麒次郎『捧げ銃―三八式歩兵銃等皇軍銃器の開發者 南部麒次郎自傳』ブイツーソリューション、2020年、175頁。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E5%BC%8F%E6%8B%B3%E9%8A%83(2024年1月23日閲覧)
2024年01月20日
日本軍拳銃と安全子
マガジンセフティというマイナーな安全装置
日本軍の拳銃には手動の安全装置「安全弁」のほかに、弾倉を抜くと引鉄が引けなくなる「安全子(マガジンセフティ)」という特徴的な安全装置がある。
九四式の「一番の特徴」⋯⋯?
南部式自動拳銃、極初期型の十四年式拳銃を除き、十四年式拳銃、九四式拳銃には安全子が備わっている。南部麒次郎は自伝で以下のように語る。
安全子はもともと新型の将校用拳銃(=九四式拳銃)につけるための装置だったが、のちに十四年式にも同様の改正が入ったのである(そもそも十四年式拳銃の開発に南部は関わっていない)。十四年式は制式採用から製造終了までの約20年間のうちにたびたび制式改正が行われ、細かい違いのある個体が多く存在する。安全子を追加する旨が記された資料は残っておらず正確な時期は不明。
自動拳銃とマガジンセフティ:拳銃の「非」重要性?
南部は弾倉を除去してしまえば弾がないと思って暴発させる事故が少なくなかったから安全子を付したのだとしているが、弾倉を抜いたら大丈夫だと考えるなどというのは、自動拳銃の基本中の基本が全く分かっていないということだ。そんな問題に対して、兵士の教育ではなく安全装置の追加で解決しようとする。日本軍ではよほど拳銃というものの優先順位が低かったのだろうと考えてしまう。
南部の言っていることが事実ならば、射撃を中止した際に薬室を検める安全管理が徹底されていなかった例が少なくなかったということになる。少なくとも九四式が開発される前、薬室内の残弾に対する意識は高くはなかったのではないか。
日本軍の拳銃には手動の安全装置「安全弁」のほかに、弾倉を抜くと引鉄が引けなくなる「安全子(マガジンセフティ)」という特徴的な安全装置がある。
九四式の「一番の特徴」⋯⋯?
南部式自動拳銃、極初期型の十四年式拳銃を除き、十四年式拳銃、九四式拳銃には安全子が備わっている。南部麒次郎は自伝で以下のように語る。
「この拳銃(=九四式)の最も特徴とするところは、弾倉を銃から脱いてある時は引鉄を引くことができないことであった」
「もともと自動拳銃は弾倉の弾丸すべてを撃ち尽くさぬ間は銃身内に必ず一発の弾丸が存在するものである。ために手入れの際、弾倉を除去すれば、弾丸がないと思って何気なく引鉄を引き間違いを起こす例が少くなかった。この危険を除去するため設計に際して、弾倉なき間は引鉄を引けないやうにした。」
「軍部でもこの装置の必要性を認め、十四年式拳銃全部に同様の装置を施すよう修正するに至った。」
安全子はもともと新型の将校用拳銃(=九四式拳銃)につけるための装置だったが、のちに十四年式にも同様の改正が入ったのである(そもそも十四年式拳銃の開発に南部は関わっていない)。十四年式は制式採用から製造終了までの約20年間のうちにたびたび制式改正が行われ、細かい違いのある個体が多く存在する。安全子を追加する旨が記された資料は残っておらず正確な時期は不明。
自動拳銃とマガジンセフティ:拳銃の「非」重要性?
南部は弾倉を除去してしまえば弾がないと思って暴発させる事故が少なくなかったから安全子を付したのだとしているが、弾倉を抜いたら大丈夫だと考えるなどというのは、自動拳銃の基本中の基本が全く分かっていないということだ。そんな問題に対して、兵士の教育ではなく安全装置の追加で解決しようとする。日本軍ではよほど拳銃というものの優先順位が低かったのだろうと考えてしまう。
南部の言っていることが事実ならば、射撃を中止した際に薬室を検める安全管理が徹底されていなかった例が少なくなかったということになる。少なくとも九四式が開発される前、薬室内の残弾に対する意識は高くはなかったのではないか。
参考文献
・南部麒次郎『捧げ銃―三八式歩兵銃等皇軍銃器の開發者 南部麒次郎自傳』ブイツーソリューション、2020年、177頁。
・佐山二郎『小銃拳銃機関銃入門 新装解説版』潮書房光人新社、2022年。
・アームズマガジン編集部編『日本軍の拳銃』ホビージャパン、2018年、45頁。
・南部麒次郎『捧げ銃―三八式歩兵銃等皇軍銃器の開發者 南部麒次郎自傳』ブイツーソリューション、2020年、177頁。
・佐山二郎『小銃拳銃機関銃入門 新装解説版』潮書房光人新社、2022年。
・アームズマガジン編集部編『日本軍の拳銃』ホビージャパン、2018年、45頁。
2024年01月20日
日本軍拳銃と薬室:九四式は「あれ」でも問題なかった?
はじめに
九四式拳銃。将校の軍装用としての用途を想定して開発され、1934年に日本軍に準制式採用された拳銃である。開発者は言わずと知れた日本軍一の銃器発明家、南部麒次郎。
九四式拳銃には「逆鈎(シアバー)」という部品がある。この逆鈎という部品は引き金の力を撃鉄に伝えるものである。引き金を引くとこの逆鈎も連動して動く。九四式の手動の安全装置も、この逆鈎を動かないように抑えて弾が発射できないようにするものだ。逆鈎は引き金と撃鉄をつないでいる重要な部品であり、これを動かすことによって九四式は弾を発射することができると理解してもらえれば十分だろう。
ここからが問題だ。なんと九四式は逆鈎が銃の側面に露出しているのである。逆鈎の前部を押し込むと、引き金を触らなくとも撃鉄が落ちてしまう。誤って触れてしまったり、何かの拍子で側面に力が加わったら弾が発射されるかもしれない。もちろんこんな使い方をすることは初めから想定されていないが、発射する意図がないのに弾を発射してしまうことを日本語では暴発というわけだから、九四式拳銃は「暴発させる危険性を持っている銃」だ。こういった見方が自然であるように思う。
日本軍の拳銃の取扱法?
日本軍の拳銃の運用方法から見れば、特に問題にならなかったのだという者もいる(これが九四式自体の擁護になっているのか疑問なのだが⋯⋯)。彼らによると、「日本軍では拳銃を携行する際、薬室に弾を装填しないという規則があった」、「携行する際は弾倉を抜いていた」、しかもその規則を「徹底していた」のだという。九四式は自動拳銃という部類の拳銃である。自動拳銃は、弾を発射したときの反動を利用して弾倉内の次弾を装填し、弾を撃ち尽くすまで連続で撃つことができる。しかし最初の一発は手動で装填しなくてはいけない。薬室の中に弾が装填されていない状態では弾を発射できないから、暴発も発生しない。なるほど本当にそうなら納得できる説明ではある。
自動拳銃と薬室について考えるヒントとなりそうなもの。
①「九四式拳銃保存取扱説明書」より
「射撃中止の場合には常に実包一発薬室に残存するを以て
安全栓を「安」字に一致せしむると共に
弾倉を抽脱して安全子を引鉄に鉤せしむべし」
→「射撃中止の場合」ではあるが、安全装置をかけ、弾倉を抜くという記述。薬室内の弾を抜くという記述ではない。
「引鉄に鈎しあるままならずや
念の為一度必ず薬室及弾倉内を検めたる後引鉄を引き置くべし。」
→薬室と弾倉を検める、撃鉄は起きたままにしないという記述。
②「十四年式拳銃取扱法」より
「弾倉の実包を撃尽さざる間は
仮令(たとい)弾倉を離脱するも
銃の機能上実包常に薬室内に存在するを以て
射撃中止の際は危害予防に付 特に留意するを要す」
→やはり「射撃中止の場合」だが、薬室内の弾に注意を向けさせる記述。薬室から弾を抜けとは書かれていないが、そう解釈することもできなくはない。
(③そもそも日本軍に限らず、当時は薬室に弾を装填したまま自動拳銃を携行するほうが珍しかったとも聞いたが、海外拳銃の取扱説明書や規則を調べたわけではないので一応保留にしておこう。これをあっさり信用してしまっては①や②をわざわざ調べた意味がない。)
携行する際に拳銃をどういう状態にしておくのが望ましいかという項目があるわけではないが、射撃が終わった際に弾倉や薬室を検め、撃鉄を落としておくのであれば、携行する際にはそのような状態になっているとみていいのだろうか。
とりあえず、ここまで。